伝説・ミステリー

北エリア

金山巨石群
かなやまきょせきぐん

縄文太陽カレンダーに秘められた巨石群の神秘


「金山巨石群」は岩屋ダムの下流約 300mに位置し、縄文時代の史跡「岩屋岩蔭遺跡」を含む 3か所の巨石群の総称です。古代より時を刻みつづける太陽カレンダーの機能をもち、有名なイギリスのストーンヘンジやエジプト・ギザの三大ピラミッドが作られた時期と同様の巨石建造物の可能性が、ここ約20年間の古天文学調査によって解明されつつあります。そこに秘められた暦の機能は、現代人の想像をはるかに超え、古代日本には太陽暦がなかったとされる常識を覆す事実*が存在しています。しかしながら巨大な石の運搬や組みたて、観測者や期間等々…世界中に存在する巨石文明同様、そこはいまだ謎に包まれています。縄文時代の世界観を一転させる金山巨石群に秘められたミステリーを体験できる「光の体験ツアー」も開催中!神秘の光を体験し、縄文時代にタイムスリップ!海外からもファンが訪れる日本で唯一の縄文・巨石天文サイトです。

LinkIcon岩屋岩蔭遺跡について

住所 岐阜県下呂市金山町岩瀬高平
駐車場 巨石群前の車道脇に10台ほど/車道を下り150m先の旧テニスコートに10台ほど
トイレ

150m先の旧テニスコートに洋式水洗トイレがひとつ

最寄りのバス停 乙原(おっぱら)または 八坂(はっさか)/岩屋ダム方面は 乙原 が終点
設立 ◆金山巨石群リサーチセンター 調査員による有料ガイド(60~90分)
 4名様まで 4,000円/5名様以上 おひとり 1,000円
◆光の体験ツアーでも同様のガイドを受けることができます
お問合せ
ガイドお申込み
◆金山町観光協会 TEL.080-3637-2201  FAX.0576-32-3543
金山巨石群
WEB SITE
日本の巨石天文学 金山巨石群と太陽カレンダー

◆駐車場のご案内

写真のように、巨石群のすぐそばまで車で行くことができます。

自家用車・マイクロバス・バイクでお越しの方 は、写真のように道路脇一列に駐車してください。約10台駐車できます。

大型・中型バスでお越しの方 は、巨石群前でお客様に降りていただき 、150m先の突きあたり・テニスコートに駐車してください。現在テニスコートとしての利用はありませんので、駐車場としてご利用できます。出発の時間になりましたら、Uターンして巨石群前でお乗りください。


◆巨石群見学について

駐車してすぐ目の前が巨石群です。誰でも自由に見学することができます。
入場料はいりません。写真のようにやや斜面の山肌に巨石群が座っていますので、多少歩きにくい個所もあります。各自足元には十分注意してください。

巨石群の観測位置に12か所、説明看板が設置されています。巨石群の資料(A4・2種)も現地に建てられた 太陽カレンダーシミュレータ「再現館」 の中にありますので、ご利用ください。

また、ガイドが必要な方は上のガイド欄をご覧ください。


◆金山巨石群リサーチセンター& GALLERY
2019年 1月にオープンした巨石群の資料館を見学することができます。巨石群現地から約16km南下した金山の街なかにあり、一般公開されています。映像や考古天文学に関する資料も閲覧できます。ぜひ併せてお出かけください。

◇所在地 :岐阜県下呂市金山町金山 2142-4 TEL.0576-20-4118
◇OPEN :9:00~16:00 (不定休) 入館無料
LinkIcon詳しくはこちら


◆ガイドツアー 『光の体験ツアー』 開催中!
金山町観光協会主催。毎月20日前後、光の体験ができる時期に募集期間を設け、調査員によるガイドツアーを開催しています。巨石群、昼食のあとは、 飛騨街道・筋骨めぐり も楽しめます!

11時30分から16時頃まで、おひとり様 4,000円(5名様以上の場合)
LinkIcon詳しくはこちら

常識を覆す事実とは…
金山巨石群では、年間を通し太陽観測ができる巨石構造があります。その起源は縄文時代にさかのぼり、季節の節目にあたる夏至や冬至、春分・秋分だけでなく、4年ごとに訪れる約 1日分のズレを、2000年出土した石組みに射しこむ太陽スポット光で観測することができます。さらにこの暦の精度は、4年ごとの太陽観測にやがて 1日のズレが生じるタイミングを知る方法がみつかったことも、長期の観測データから導き出されました。
その全貌は、2016年出版されたガイドブック『金山巨石群の「縄文」太陽観測ガイド』で詳しく説明されています。世界に唯一のスポット光観測による高精度な太陽カレンダーは今も静かに、そして正確に時を刻みつづけています。
ぜひガイドツアーでその謎解きに参加してみてください!


≪ガイドブック≫  ONLINE SHOP から定価購入できます
書籍名/ 日本初!古代太陽暦の証を発見『金山巨石群の「縄文」太陽観測ガイド』
著 者/ 小林由来・徳田紫穂
発行日/ 2016928日 初版  出版社/三五館 ISBN 978-4-88320-677-3

定 価/ 本体1,200円+税
サイズ/ A4判(72ページ・フルカラー)

《お知らせ》 現在、2冊目の書籍編集中!

■金山巨石群リサーチセンター& GALLERY ≫≫ONLINE SHOP
〒509-1622 岐阜県下呂市金山町金山 2142-4 TEL/FAX. 0576-20-4118 E-mail: kanayamamegaliths@gmail.com
現在書店での販売は行っておりません。
ONLINE SHOP をご利用の場合は、金山巨石群リサーチセンターから発送 いたします。

●金山巨石群の資料 A4・2種

(左)太陽カレンダー (右)北極星と北斗七星

■資料のお問い合わせは 金山町観光協会まで TEL.080-3637-2201

現地の「太陽カレンダーシミュレータ 再現館」内にも常設しています。ご利用ください。

狒々(ヒヒ)退治伝説

岩屋岩蔭遺跡と祖師野八幡宮に伝わる伝説

 
(左)岩屋岩蔭遺跡 (右)祖師野八幡神宮

鎌倉時代、祖師野八幡宮の祭りには娘を神に供える決まりがあり、毎年村祭りの度ごとに美しい娘が次々と消えていきました。そんな中、平治の乱(1159年)で平清盛に敗れた源義朝の長男善平(悪源太善平)は、美濃から飛騨へと再挙を企てていた潜伏先の麻生谷から、ある日祖師野村にやってきます。村人から話を聞いた善平は、その年の祭りには自分が娘に扮し怪物を退治しようと企てます。予想通り夜になると何ものかが近づき、太い足音が悪源太に近づくと、ランランとふたつの眼を光らせ、耳まで避けた大きな口を開き食らいついてきました。その瞬間、悪源太は腰の名刀藤捲の太刀(祖師野丸)を引き抜き斬りつけました。怪物はうめき声をあげ、血をふきながら山の方へ逃げていきました。悪源太は若者数人を引き連れ、ボタボタおとした血痕を追って馬瀬川を渡り、たどり着いた先が岩屋の洞くつ(岩屋岩蔭遺跡)でした。そこで悪源太は岩屋へ踏み込み、怪物は討ち殺されました。岩屋の中から引きずり出してみると、数百年を経た真白い狒々(ヒヒ)でした。これで怪物の正体が明らかになり、村人は災厄から逃れることができました。悪源太は記念にヒヒ退治をした太刀を村人に寄進しました。村人は恩義ある源氏の再興と武運長久を願い、源氏の氏神である鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の分霊を迎え、養和元年(1181年)に祖師野八幡宮を創立したと伝えられています。またヒヒ退治の名刀を祖師野八幡宮の神宝として納め、祭典の神輿渡御には名刀を随伴させました。岩屋には妙見神社を祀りましたが、この妙見は名剣に通ずる意味であるとも言われています。

LinkIcon岩屋岩蔭遺跡について LinkIcon祖師野八幡宮について

西エリア

鶏鳴滝と黄金姫伝説

黄金の鶏を探し辿り着いた黄金姫ゆかりの地 横谷峡 四つの滝

 
(左)鶏鳴〔けいめい〕滝 (右)黄金〔こがね〕姫がみそぎをした黄金淵

寛治7年(1093年)頃、堀河天皇の内親王の仏間に「秘宝の鶏」が安置されていました。この秘宝は昔五台山から百済に渡り、日本に渡ってきました。この鶏は元旦になると必ず鳴き、この秘宝を見守っていたのが天生の美女黄金姫(こがねひめ)でした。都が戦いに巻き込まれたある年の元旦にこの鶏は飛び発ってしまい、姫は比叡山で観音様のお告げを受け、東山道から飛騨路へと鶏の行方を探し、年の瀬にようやく飛騨金山坂梨までたどり着きました。この時、山の彼方で「秘宝の鶏」の声を聞き横谷峡の鶏鳴滝まで来たが、声は鳴き止み姿も見えませんでした。姫はこの滝の清流で身を清め岩頭に立って合掌しました(この滝下の淵を黄金淵と呼びます)。すると「秘宝の鶏」はどこからか舞い上がり一声高く鳴き、やがて滝壺の中へ消えてしまいました。「秘宝の鶏」は清流権現という滝の主になっていたのでした。姫は「秘宝の鶏」の行方を確かめたのち、この山中にある天成草を採って都へ帰り、この薬草で長いこと病床にあった母を治したといいます。この頃からこの滝では元旦の明け方になると鶏の鳴き声がかすかに聞こえるようになったことから、この滝を「横谷峡の鶏鳴滝」と呼んでいます。
また坂梨地区「子守金神社(こもりこんじんじゃ)」は咳に関した病気や子供の百日咳にかかったときなど、ここにお詣りをして願いをかけ、病気が全快すれば、鶏の置物を供えることが慣例になっています。この「子守金神」の子守神は「金峯山秘密記」や「吉野曼茶羅」の中で唐装で優美な女神の姿をした子守明神のことです。これは黄金姫の化身といえます。この地域で満願時に鶏の置物を供えるという伝承は「黄金姫」と「秘宝の鶏」の伝説を偲び奉納するものであり、「黄金姫」への慈しみと感謝の意味を表現したものと考えることができます。
2006年には、黄金姫を偲ぶ「黄金姫街道」ができ、約 6kmの森林ウォーキングコースとしてご利用できます。周辺には伝説に登場する(薬草と考えられる)天成草や山野草などが多く、四季折々の植物も楽しめます。

LinkIcon横谷峡 四つの滝について

●黄金姫伝説に関する資料 A4
 
(左)黄金姫街道ウォーキングマップ/表 (右)黄金姫伝説/裏

■資料のお問合せは 金山町観光協会まで TEL.080-3637-2201

東エリア

両面宿儺と武振熊伝説
りょうめんすくな と たけふるくま でんせつ

日本書記に登場する両面すくなの伝説


(左)鎮守山観音堂の前に立つ両面宿儺〔すくな〕の石像 (右)下原八幡神社の根子〔ねこ〕岩 

仁徳天皇の頃(西暦400年頃)、飛騨の地に大和朝廷に従わない、両面宿儺(すくな)という人物がいました。宿儺は 2つの顔と 4本の手を持つ怪人で、大和朝廷側の追討の将、難波根子武振熊(なにわのねこたけふるくま)と激しい戦いを繰り広げました。宿儺は武振熊を向かえ撃つため、金山町の鎮守山に駐留し、その後武儀郡下之保(現 関市武儀町下之保)の高沢に飛び去ったという。一方武振熊は、高沢で宿儺を破り、宿儺を追って飛騨の入り口である、金山町中津原に至り大岩の上に八幡様を勧請し、ここで戦勝を祈願しました。そのため、この大岩は「根子岩」(ねこいわ)と呼ばれています。現在この地には下原八幡神社を祭り祭神は仁徳の先帝、応神と神功皇后で、古い飛騨街道に沿って、ここから高山までの八幡神社* にその伝説を残します。
(※)中津原(下原八幡神社)→乗政(水無八幡神社)→下呂(水無八幡神社)→上呂(久津八幡神社)→山之口(位山八幡神社)→一宮(水無八幡神社)→石浦(若宮八幡神社)→丹生川(相山八幡神社)

LinkIcon鎮守山についてLinkIcon下原八幡神社について


下原八幡神社の「根子岩」は、拝殿横に祀られているものと伝えられていますが、そばにある岩(写真右)に勝利祈願の痕跡があるため、こちらの岩が「根子岩」とも言われています。

また飛騨の「すくな」は、東北の「アテルイ」とよく似た存在と言われています。LinkIconアテルイについて
飛騨も東北も縄文時代の文化が根付いた地です。朝廷軍と戦ったすくなとアテルイの共通性は、自分たちの住む土地を守り抜くために戦った地元の英雄といえる点です。縄文時代からの精神性がうかがえる「両面すくな伝説」は、飛騨の歴史を語る上で大変意味深いものがあります。


●両面宿儺伝説に関する資料
(筋骨マップ B4)
鎮守山は、飛騨街道 金山宿 「筋骨めぐり」 のコースにあります。ガイド付きツアーでは伝説の解説もあります。

■資料のお問い合わせは 
金山町観光協会まで 
TEL.080-3637-2201

北エリア 県道86号線 周辺
●金山巨石群縄文ミステリーの旅

●『ヒヒ退治伝説』の旅

西エリア 県道 86号線 周辺
●『鶏鳴滝と黄金姫伝説』の旅

東エリア 国道41号線 周辺
●『両面宿儺と武振熊伝説』の旅