自然・公園
北エリア
ゆがけの里(旧 飛騨金山の森キャンプ場) 休業中
http://www.hk-mori.jp/
電気・水道・シャワールーム(無料)完備のオートキャンプ場。間伐材を利用したバンガロー、古民家や分校を改装した宿泊施設などがあります。水遊びや遊歩道散策、パターゴルフなど大自然が楽しめます。
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岩屋ダム・東仙峡金山湖
http://www.water.go.jp/chubu/iwaya/
岩屋ダムの新規開発利水量最大毎秒 45.69 立方メートル /S は、国内の多目的ダムで第 1 位であり、東海の水がめとよばれています。受益地域は愛知県、岐阜県、三重県、名古屋市の 3 県 1 市にかんがい(農業)用水、水道及び工業用水として供給しています。また、ダム直下の発電所(中部電力㈱)では最大出力 288,000kw の発電を行っています 。(発電所は事前に予約をすれば見学可能) ダムの周辺では景観整備が進み、秋の紅葉は「飛騨美濃紅葉 33 選」に指定されています。 【河川名】 木曽川水系馬瀬川 【型 式】 ロックフィルダム 【ゲ ー ト】 ラジアルゲート ×2 門 【提高・提頂長】 127.5m ・ 366m 【総貯水容量】 1 億 7,350 万立方メートル 【管理者】独立行政法人 水資源機構 【本体着工/完成年】 1969/1976 年
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八坂湖畔桜
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西エリア
ギフチョウと池之島公園ギフチョウ(アゲハチョウ科)は日本固有の種 で、 初代名和昆虫研究 所 長の名和靖氏が明治 16 年、 金山町の祖師 野 で 初めて採集したことか ら 「ギフチョウ」と 名 づけ ら れました。色鮮やかな斑点 が美しく春の女神 とも呼 ば れています。ギフチョウ の幼虫は早春、 若葉を広 げる カンアオイを食草 とし蝶となります 。 池の島公園ではこのカンアオイを保護し、 ギフ チ ョ ウの森として、地元の人々に守られています。毎年 4月初旬から中旬にはギフチョウの観測会が行われ、春の女神に出会えるチャンスがやってきます
観察会配布資料より ≪2009. 4. 4≫ ◆ギフチョウの里 金山町 明治16年 4月24日(1883年)岐阜県郡上郡祖師野村地内(現在の下呂市金山町祖師野)において、岐阜市にある名和昆虫研究館の初代館長 名和靖氏(1857~1926)が一頭の見慣れないチョウを発見し、帝国大学(現在:東京大学)にて調査の結果、新種と解り、岐阜県にちなんで「ギフチョウ」と命名し発表されました。その後、各地で採集され、日本列島の本州(山口県から秋田県)のみに生息するチョウであることが解明されました。 ギフチョウが金山町で通常観察できるのは、4月初旬から中旬にかけてであり、年 1回の発生で、他のチョウに先がけ早春の野山に姿を見せることから、誰が名付けたのか「春の女神」「春の舞姫」などと呼ばれています。春の暖かい日に、花の蜜を吸うため、サクラやスミレ、カタクリなどを訪れます。 ギフチョウが卵を産み付ける場所は、カンアオイという植物で、その葉の裏に直径約 1mmの真珠のような卵を産みます。そして卵から孵(かえ)った幼虫はカンアオイを食べ、5回の脱皮とともに成長し、6月頃蛹(さなぎ)になり翌年の 4月頃まで枯れ草や、枯木の下で蛹のままじっとしています。しかし、近年、造林や開墾などにより従来ギフチョウの住む照葉樹林(雑木林)が減少し、それに伴い食草となるカンアオイの激滅と共にギフチョウも減少しています。 ギフチョウの保護が叫ばれ、各地では対策がとられていますが、自然の中での生態系を崩すような誤った対策がとられると絶滅することがあります。 また、ギフチョウは発生場所において羽の模様が異なり、特に進化や地域性を調べることがなされています。そのため、発生地以外のギフチョウを放したりしないことが大切です。 その対策の一つとして、金山町では保護地区を設け、食草の増殖、吸密植物の保護、間伐、下刈りなどの環境整備を行い、毎年 4月にはギフチョウ観察会を開催し、町民に「春の女神」を紹介して、ギフチョウとの出会いを大切にしています。 ◆カンアオイ カンアオイはウマノスズクサ科の多年生草本の植物であり、本州に15種が分布し、その中で金山町に分布しているものは、ヒメカンアオイという種類です。 カンアオイは、ギフチョウの食べる植物ですが、カンアオイなら何でも食べるというわけではなく特定の種類のみです。また、カンアオイは昔から知られており徳川家の紋章(葵の紋)は、カンアオイの仲間のフタバアオイを型取っています。 カンアオイの成長は大変遅く、1年に 1cmくらいしか分布しなく、花がつくまでに、数年から10年くらいかかります。また、花は地上すれすれに咲くので種もせいぜい 1cm以内にしか飛散しなく、他の植物と違い広範囲に増えることはありません。 カンアオイは、通常、照葉樹林(雑木林)内に分布しています。金山町ではスギ、ヒノキの植林が進み、現在見られるところは陽の当たる林縁のみです。また、針葉樹の植林地では陽が当たらないことからしだいに細くなりなくなってしまいます。 植林鉢でも育成しますが、条件が合わないと数年で無くなってしまうことがあるので日照時間、水分補給に注意しなければなりません。 【参考】 カンアオイは強い日差しを嫌います。朝に陽が当たり、昼の日差しを遮り木陰のある庭が最適です。また、水は適度に与え土壌が乾かないようにしてください。いつでも移植することは可能です。しかし、皆さんが心配されることは、植えても大きくならない、いつまでも葉が出てこないことだと思いますが、カンアオイは年 1回(通常 4月)の発芽であり途中には葉は出てきません。また、早く大きくしようと肥料を多く入れると枯れてしまいますので注意してください。 カンアオイは金山町全土に分布していますが、もっと育ててみようと野山へ行って採取しないでください。なぜならば、そこにギフチョウが生息していれば、カンアオイを採ることにより食草が無くなってしまいギフチョウが絶滅する危険性があります。もし、野山でカンアオイを見つけたならば専門の人に聞いてから採取してください。 |
横谷峡 四つの滝
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住所 | 岐阜県下呂市金山町白山町 |
駐車場 | あり |
トイレ | 駐車場付近にあり (ひとつめの白滝の手前にあります) 但し冬期は閉鎖しています |
最寄りのバス停 | 滝口 (横谷峡 四つの滝入口) |
リンク | 季節のイベント ( 8月・滝まつり、11月・秋の黄金姫街道ウォーキング) ウォーキングマップ |
注意事項 | 四つの滝周辺は特に、夏から秋にかけて蛭(ヒル)が発生します。 肌の露出は極力避けて、各自虫よけスプレーなどの対策をお願いします。 |
黄金姫街道ウォーキングマップ
■資料のお問い合わせは金山町観光協会まで TEL.0576-32-3544, 080-3637-2201
東エリア
火道角れき岩下呂市指定文化財・天然記念物七宗ダム閘門下には、飛騨川流域に沿って約 500m の区間に特異な岩石が露出しています。白亜紀末期 (約 6500 万年前) 高温の火山灰が貫流し、周りの礫 (主に濃飛流紋岩) を巻き込んで凝固した石英斑岩です。その後飛騨川の流れによる侵食をうけ、地表に露出しており、地質学的に珍しい場所。愛宕山付近の地質は秩父古生層、田島付近は石英斑岩で、七宗ダム下流地点は両方の地質の境目に当たっています。 〔金山町の地質〕 金山町の八坂から中切、中津原、金山地区(井尻)を結ぶ線の以西の地質は、秩父古生層と呼ばれる堆積岩層(チャート・粘板岩・砂岩の互層)で、古生代二畳紀(今から 2 億 4 千万年前に堆積したもの)です。それに対し以東の地質は濃飛流紋岩と呼ばれる火成岩が貫入したもので、金山町はこれらの接点に位置しています。
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大船渡ダムの桜並木 金山橋の桜並木金山橋から馬瀬川の約 200 m上流の境橋にかけても、 ソメイヨシノ 21 本 の桜並木があります(ライトアップはありません)。大船渡ダムから南へ約500mの地点です。
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南エリア
菅田川のゲンジボタル下呂市指定文化財・天然記念物毎年 6月初旬から飛び始め、中旬から下旬にかけてピークを迎えます。金山町井尻から菅田大谷戸約 2km の流域は、古来ホタルの名所として知られ、県道関・金山線(こぶし街道)の開通により、保護指定区域となりました。農地整理や広い道路がつくられたりして、一時はほとんど見られなくなりましたが、 「ほたるの里 菅田川を守る会」により、 ホタルが群棲できるよう、ホタルの餌になるカワニナを菅田川に放し、これまで環境作りが行なわれてきました。その成果あって、ホタルの数は年々増え、現在は「クリエイティブ~すがたほたる」の皆さまが引継ぎ整備が行われ、約300mにわたる「ほたるの細道」がつくられています。親子連れで安心して観賞できる川沿いの道です。ピーク時の午後 8時頃にはホタルの幻想的な光景と、カジカガエルの風情あるサウンドが、夏の夜を演出します。 〔ゲンジボタル〕 日本には 40 種類以上のホタルがいるといわれる中でも代表的なのが、明るく光るゲンジボタル。体長 15mm 前後で、日本産ホタル類では大型種に属します。幼虫は川の中流域にすみ、カワニナを捕食します。夜空を飛び交う成虫のお尻が光るのは、ルシフェリンという発光物質とルシフェラーゼという発光酵素が反応するため。子孫を残す為の求愛行動で、天敵の活動が少ない夜に暗くても相手に見えるよう発光しているといいます。(他説もあります)
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袋坂峠の嶽見桜下呂市指定文化財・天然記念物2006 年(平成 18 年)下呂市の文化財に指定された袋坂峠の桜 (江戸ヒガン桜/樹高 22m/樹齢 300年/幹の周囲 目通り4.6m) で、近年の桜の名所として知られるようになりました。この袋坂峠の頂上からは、北の正面に御嶽山が見えることから嶽見(たけみ) 桜と命名されました。 袋坂峠は県道58号(関・金山線)が開通する前までは古くから飛騨街道の難所として有名でした。道幅も狭く急坂であったこの峠も 1879 年(明治 12 年)、道幅が拡張され二間( 3.6m )となりましたが荷馬車の全盛期であった大正初期には 20 台から 30 台もの荷馬車が行列をなし賑わっていたといいます。この当時峠の入り口には「見付屋」という茶屋もあったそうです。
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